江橋 崇先生 特別寄稿1![]() |
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麻雀と書いてマージャンと読むのは、実は不思議なことである。中国語では、雀は「チャオ」とか「ジャオ」であって、どの地方の方言でも「ジャン」にはならない。しかし、麻の読みの「マー」も、雀の読みの「ジャン」も日本語としては認められていない。なぜ、こういう混乱が生じたのか。今日では、次のように考えられている。 |
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| (1) | 中国では、麻雀の二文字を使う例は19世紀からある。マーチャオという紙牌を意味する文字であった。よく、麻雀という言葉は、牌をかき混ぜるときに発する音が雀の鳴声に似ているところから来たといわれるが、骨牌の発明以前に、かき混ぜてもこういう音の出ない紙牌がこう呼ばれていたのであるから、「雀の鳴声」説は根拠のない俗説であることが分かる。 |
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| (2) | 19世紀半ばに、紙牌の麻雀を骨牌に仕立てたものが出始めた。最初は、紙牌と同じくマーチャオ・パイ、あるいは紙牌と区別するためにマーチャオ・クーパイ(麻雀骨牌)と呼ばれていたと思われる。 |
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| (3) | ところが、1860年代に寧波市で「發※」という牌を加えた骨牌が売り出されて人気を呼んだ。これを以前からのものと区別するために、寧波の人々は、この新型の麻雀牌をチュンファー(中發※)と呼んだ。正しくは、チュンファー・マーチャオ・パイである。文字で書くと「中發※麻雀牌」である。 |
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| (4) | 20世紀の初め頃までに、この「中發※麻雀」が主流になったので、省略してこれを単純に「麻雀」「麻雀牌」と呼ぶようになった。読み方は、なお依然として、マーチャオ、マーチャオパイである。 |
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| (5) | この時期には、ゲームの名前から、麻雀をパンウー("石並"和・・・""内は石へんに並)と呼ぶこともあった。これと別に、麻雀競技における自摸(ツモ)るという動作の名前から、モーチャオ(摸雀)と呼ぶこともあった。 |
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| (6) | この時期に、中国南部の香港、広東では、中発骨牌を、マーチャオと区別してマージャンと呼ぶようになった。文字は麻将である。ここでなぜ「将」の文字であったのかについての私の理解は後に述べるが、この変化は、まずジャンという音があって将という字を当てたのではなく、逆に、将という字を使う趣旨でジャンになったものである。 |
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| (7) | 1910年代後半の上海には、チュンファー、チュンファー・マーチャオ、マーチャオ、パンウー、モーチャオ、マージャンなどの名前が入り乱れて存在していたことになる。 |
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| (8) | この混乱を収拾するのに大きく作用したのが、バブコックである。彼は、麻雀という二文字と、マージャンという中国南部の呼び方とを結合させて、それを全世界に広めた。麻雀と書いてマージャンと読む習慣が、一種の世界語として成立した。中国人もこれに従った。 |
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ここまでは、最近は比較的よく理解されているところである。だが、どの説も沈黙しているのが、中国南部では、なぜ、マージャンと呼ばれたのか、その積極的な理由の説明である。長い間、全中国でマーチャオと呼ばれているゲームについて、なぜ、人々は、にわかに、これをマージャンと呼ぶようになったのか。香港、広東に何が起きたのか。この点がまったく未解明なのである。 沈黙にはもちろんそれなりの理由がある。麻雀のように一般社会で活発に遊ばれたものには、その誕生や生成を物語る資料がほとんど残っていない。資料がなければ、物がいいたくてもいえない。それが沈黙の大きな理由である。 それならば、今の私には何か新しい未公開の資料があるのかといわれれば、残念ながらそれはない。ただ、現在、私の頭の片隅に、一つの仮説ができている。それを今回は紹介しておきたい。 |
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| (1) | 麻雀が馬弔から分離独立し始めたころ、馬弔の役札である「老千」「紅花」「白花」に代えて、「中」「東」「南」「西」「北」の役牌が登場した。このうち、「東」「南」「西」「北」は、各々、四人の競技者のうちでその方角に座っている者が集めたときにのみ役になる牌であり、「中」は、中心にあってどの方角も向いているので、どの競技者が集めても役になる牌とされた。これは何も難しいことを言っているのではない。今日の風牌と三元牌の機能は、この説明のままである。こうなると、いうまでもなく、「中」の牌はとても貴重なものとなり、競技中に大事にされた。 |
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| (2) | この、「中」「東」「南」「西」「北」の牌は、当時、メンジャンパイ(門将牌)と呼ばれた。「東」「南」「西」「北」には、東門、南門、西門、北門とぴったりの名前だが、「中」はどうも落ち着きが悪い。 |
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| (3) | そのうちに、寧波の誰かが、「發※」字の牌を考案し、それを、「中」と同じ働きの役牌にした。「中發※」麻雀の発明である。こうしてみると、大いに役に立つ「中」の牌が二倍になったのであり、ゲームとしてさらに面白いものになった。 ところが、牌を4枚増やすというのは、ゲームの開始時に牌を四角い城壁のように積み上げるときに、半端なものが出て不便である。そこで、「白」牌の4枚も加えることとしたというのが榛原茂樹の説である。こうすれば、8枚の増加であるので一人2枚ずつ多く積めばきちんと積めるというのである。なるほどと納得する。内容的にも、もちろん、「中」牌が三倍になったのであるから、その恩恵に浴する機会も、それを打って大きな手を作られたり、直接に振り込んだりする危険も増えたのであり、さらにスリリングで面白いゲームになる。 |
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| (4) | この、新しく成立した「中」「發※」「白」の魅力的な牌のグループをなんと呼ぶか。人々は、これをメンジャンパイに対応させてコンジャンパイ(公将牌)と呼んだ。あるいは、以前に「天王」「地王」「人王」を、天地人の三元を意味する「三才」牌と呼んでいたので、それを転じて、「中」「發※」「白」をサンユエンパイ(三元牌)と呼ぶようにもなった。 |
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| (5) | こうして成立した麻雀牌は、紙製のマーチャオ(麻雀)に比べると、なんといっても門将牌、公将牌が売りである。「同じ麻雀牌でも、うちのものは麻雀将牌だよ」という売り口上もできたことであろう。マーチャオ・ジャン・パイ、略すれば、当然ジャンパイ(将牌)になる。それがなまって、麻将牌になるのにはそう時間はかからなかったであろう。 |
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| (6) | ひとたびこの言葉ができると、マージャンがマーチャオとはっきりと区別できて都合がよく、この言葉はすばやく広まったものと思われる。1910年代の上海でも、音声的にはマージャンを使うほうが優勢だったのではないだろうか。 ところが、文字的には、なお麻雀のほうが優勢であったとする。そうすると、麻雀と書いてマージャンと読むようになる。それが世界語なのだという自負もある。そして、対称的に、麻将という文字の使用が衰退して行ったのである。 |
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| (7) | 以上要するに、麻将の語源は、マージャンに新たに登場した門将牌、公将牌の「将」で、それを強調した将牌マージャンが短縮されて麻将になったということ。これが私の仮説である。 |
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なお、まだ調査が不十分で大した論拠にはならないが、日本で発行された中国語辞典、当時の言葉では「支那語辞典」がどのように書いているのかも興味があるところである。 まず、大正期以前の「支那語辞典」には、「馬弔」も「麻雀」も掲載されていないのが普通である。昭和期にはいると「麻雀」は登場するが「馬弔」はない。また、「麻雀」は最初からマージャンと読まれていて、これをマーチャオと読んだり、麻将という項目を立てたりするものは少ない。 まだ調査は進んでいないが、とりあえず気づいたこの少数例を書いておこう。塩谷温の『新字鑑』(弘道館、1939年)は、同じマージャンという音で、「麻雀」と「麻将」を二項目掲載している。相互に参照されるようになっていて、両者のバランスは同じようなものである。 尚文堂の『尚文堂支那語辞典』は、「麻雀」という項目だけで「麻将」の項目を欠いているが、麻雀をマーチャオと読んでおり、したがって麻雀牌の説明は、「マーチャオパイ マージャンの駒」という奇妙なものとなっている。 このほかに、諸橋轍次『大漢和辞典』にも「麻将」の項目がある。 こういう辞典類を丹念に調べれば、もっと面白い結果がでてくると思うが、今はこの程度である。 以上のような次第で、まだ、軽佻浮薄の仮説に過ぎないが、マージャンの世界でなぜジャン(将)が使われたのか。研究と討論に向けた最初の問題提起になれば幸いである。その際、共同の研究と討論の場としては、もちろん、「麻将」を会の名称に活用している日本健康麻将協会のホームページがふさわしい。 |
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| 文 江橋 崇 (えばし たかし) 法政大学教授 日本健康麻将協会顧問 麻雀博物館顧問 大牟田市立三池カルタ記念館顧問 ※管理人注・・・先生に伺ったところ、「發」は19世紀の麻雀牌では中の左が「弓」 右側は「矢」となっていたそうですが規格外の字ですので「發」を 使用しました。 |
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