5.酸素ボンベ片手に「黄龍」「九寨溝」を歩く



 7月4日が黄龍、翌5日が九寨溝、それぞれが世界遺産の観光である。
 エアチャイナCA422便が突然降下し、青い山並みすれすれに機体をゆすって飛び出した。やがてドスンと山のてっぺんに着陸した。何のことはない、山頂を平らにけずって飛行場が出来上がっていた。成都空港からこの九寨溝空港まて40分ほど。2、3年まえまではバスで10数時間の道のりがあったという。
 飛行機を降りて、山頂の大地に立つと胸苦しさをおぼえた。海抜3,400メートル。酸素があきらかに薄い。これ自体初体験であった。
 午後6時30分ころ、川主寺のホテル岷江源大酒店に着いた。ここは、黄龍風景地区の入り口といわれているが、実際には更なる難関を突破しなければならない。ここから黄龍に行くには海抜4,000メートルの峠を越えねばならないという。ゲッと叫びたい心を抑えて、ホテルに着くと真っ先に酸素ボンベを買いに走った。
 酸素ボンベは、ホテル内の売店で30元、一歩外に出て通りのチベット人のマーケットで買うと20元だった。ホテルから少し歩いたひなびた大通りをわたしたちは銀座通りと名づけた。夕食後、斉藤、青木両副理事長、三宅プロ、それに西野の4人でその銀座通りを散策。もとより狙いは雀荘探訪にあった。諦めかけていたが、東のはずれ、さよう銀座1丁目に相当するあたりで粗末な場末の雀荘を発見した。わたしたちは、ここで四川マージャンを3局ほど打って退散した。40元の出費。
 翌4日の早朝、バスは広大な山裾をひろげて聳え立つ、青い山々の峯を窓外に見ながらひた走る。さらに高地へと登っているようだ。しだいに窓外の景色が変わり、緑色の絨毯が途絶え土色の岩肌が見えるだけとなった。それも遠くのものは霞んで何一つ見えず、近くの岩場だけである。
 バスが止まった。酸素ボンベを抱いて降りると、わたしたちは雲の上にいた。海抜4,000メートルの峠である。気温が低い。チベット人が数人たむろして待ち受けていた。大鷲の剥製や角のついたヤクの頭蓋骨を杭に結んで飾りつけた光景は、この世のものとも思えないほど異様で妖気漂う別世界に見えた。チベット人が写真を撮るなら「2元、2元」と言った。
 眼下は薄い雲に蔽われ、何も見えない。荒涼とした風景の中を千切れ雲が飛ぶ。
「ああ、富士山よりも高いのだ」
 心の中で叫んでいた。それにしても空気は薄く、瞬時にして体温が奪われていく。このような所に長くいられる筈もなく、「海抜4,000メートルの体験ツアー」はアッという間に幕を閉じ、バスは峠を下っていった。
 黄龍景勝地区のゲート前では、すでに多くの人たちが入山の順番を待っていた。

 黄龍最深部までは、距離にして3,800メートル。海抜3千メートル級の高地を歩くにしては遠すぎる。しかも傾斜のある山道だ。チベット人の担ぐ籠に乗ると片道220元。日本円にしておよそ3千円。往復では6千円となる。旅先の出費としては大きい。それでも半数の人は、賢明にも籠に乗ることを選んだ。残りの半数は、果敢にも徒歩。だが、途中でダウンし籠乗り組に転向した。
 黄龍風景区は、幻の仙境であった。豊な水の流れが棚田のように連なる石灰岩のくぼみに溢れ、その堰を超え滴り落ちる。青、緑、黄金色のパステルカラーが太陽に鈍く輝き、ときに蒼く深く、ときに透明感を誇るがごとく池の底をのぞかせる。
数々の彩池、溶岩景観、大自然が織りなす妙なる風景、鳥の泣き声を聴き、高山植物を見ながら、帰途は完全徒歩。往復8キロを完走ならぬ「完歩」したのは、田嶋理事長と青木副理事長、それに女性の内藤知世子さんら健脚組が数人いた。
 黄龍から九寨溝へのバス移動は、再び峠を越え下る道のり、その道すがら遠景に濃緑の連山を望む開けた高地でバスを止めた。アッと息を呑む広大な風景のなかで、さながらアルプスの少女、ハイジの気分を味わう。
 翌5日の九寨溝――。
ここでは、ひとまず九寨溝風景区の最深部までバスで登りつめ、そこから下山しながら所々で下車し観光するという按配。昨日に比べて、はなはだ楽チンであった。
やはり、わたしたちを待ちうけていたのは、大自然がつくりあげた美景、奇観の数々であった。満々たる水を蓄え緑色に澄んだ湖は、わたしたちの視界にほどよく納まり、形容しがたい美しさに満ちていた。中腹から噴出した豊な水量が、泉をつくり、早瀬をつくり、大きな滝をつくっていた。泉は蒼く澄み緑の山影を映していた。まるで鏡を敷き詰めたような水面。眼をこらすと、小魚が群れ泳いでいた。早瀬には盆栽のような小さな木々が林立し、大滝では激しい音を立てて水しぶきが頬を打った。
 今は夏、山々は緑におおわれているが、秋には紅葉し、冬には銀景色へと衣替えするだろう。それぞれがまた趣の違った美しさに満ち溢れることだろう。
そのとき、また来たい、という思いが激しく募る。

世界遺産九寨溝で記念撮影


6.旅の案内人、向さんの人気の秘密

 7月6日早朝、ホテル九寨天堂をチェックアウトして、九寨溝空港へ向かう。
 このホテルは、「超豪華」という案内であったが、これまでの都市型ホテルとは異なり、モダンなリゾートホテルのたたずまい、新事業で成功した個人経営者の心づくしが感じられた。
 九寨溝空港から再び成都にもどり、ホテルも同じ錦江賓館。一休み後、杜甫草堂を見学。杜甫は、詩聖と称えられた唐代の詩人。正面入り口にあった彫像が西日に輝いて目を惹いた。田嶋副理事長は、ことさらこの彫像が気に入られた様子である。 
 最後の夜は、四川省人民対外友好協会がわたしたちのために歓送宴会を設けてくださった。ご出席下さったのは、四川省人民対外友好協会の副会長、王さん。食卓は、これまでにない豪華な雰囲気、四川特別料理。この席上、わたしたちの旅の案内人である向さんがひとしきり話題の中心となった。
「私、日本人にたいへん人気があります。その秘密は何だと思いますか?」
 向さんは、四川省人民対外友好協会のアジア・アフリカ部の部長さんである。わたしたちの旅の案内人をしてくださっているが、本職は四川省のお役人である。気さくにテキパキと旅の手配をされている。その向さんの問いに、
「それは、向さんのお人柄でしょう」と、誰しも思ったのであるが、どうもそればかりではなさそうだ。
「それは、私が日本の政治家、田中真紀子さんに似ているからです」
 その答えは喉元まで出ていたが、ただちに声とはならなかったものだ。「うーん、そう言われればたいへん似ている・・・」同じ食卓にいた日本人全員が大きく頷いた。顔かたちばかりでなく、活力あふれるしゃべり方、笑い顔、服装、身のこなしまで田中真紀子そっくりではないか。声まで似ているような気がする。いうまでもなく、田中角栄親子は中国で最も人気のある日本の政治家だ。
 私たちは、向さんに一層親近感を覚え、向さんもこのエピソードがご自慢らしくご機嫌だった。
 閉会が近づき、田嶋理事長が謝辞を述べた。
「中国が長い歴史の中で、世界で一番面白いゲーム”麻将”を発明していただいたことを心から尊敬し感謝しています。日本では、ゲーム文化として成長しています。麻将をしていると性格がわかります。恐い部分もありますが、一生付き合える友達が見つかる、宝探しだと思っています。これからも麻将を通して友好をよろしくお願いします」


四川省人民対外友好協会 向さん
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